『思うような結果が得られないときは、
やり方が間違っているか、
愛が足りないか、
そのどちらかです』
20年前、気功の師からいただいたこの言葉は、
今でも、セラピストとしての大切な指針のひとつとなっています。
“愛が足りないか”
については、
この先、明確な答えを得られるかどうかは分からないほど
深いテーマであるので、そう焦らず探求するとして・・・。
“やり方が間違っている”のであれば、
間違ったところに立ち戻り、やり直せばよい。
変に意地をはらず、
素直に間違いを認めて、自分を責めたりもしなければ、
心が絡まることもなく、
やったことに対しての結果が現れるだけ。
これは良い。
と、これまでやってきたのですが、
最近、
ここにも盲点があったことに気づいてしまいました。
どこに立ち戻るか。
そこが要だ、と。
協生理論を理解していく上で、
私が何度もひっかかって頭が混乱してしまうポイントがあります。
1、「理」と「感性」を混同してしまっている
2、思い込み、常識を基準に読み取ろうとしてしまう
(自分の道理に合わせようとしてしまう)
そして
3、起点・基点を間違える
特に3番目の混乱ポイントに気づいたときに、
以前からうっすら感じていた違和感を思い出しました。
私が施しているトリートメントは
「推拿」(スイナ)という、中医学の伝統手技療法をベースにしたものです。
中医学、最古の医学書「黄帝内経」の冒頭にはこんな一文があります。
(現代語訳ですが・・・しかも漫画(^o^))
「黄帝が問う
昔の人は、百歳を超えても衰えはしないと聞いたが、
なぜ今どきの人は50歳ぐらいで
皆おとろえてしまうのだろうか?」
中医学の歴史は古く、
2000年とも、4000年とも言われていますが。
この一文を読む限り、今の私達が抱える問題となんら変わりない。
人間はこんなにも進歩しないものなのか、
はたまた、
もうこの時点で、
そもそも「間違い」が始まっていたのか・・・・・。
ここにある“昔の人”とは・・・・・・。
地球創生(もしかしたらもっと前・・・・?)から端を発している
協生理論、むー理論。
人間という枠にとどまり理解しようとしている時点で、
協生理論の真髄には到底たどり着けるわけないのかもしれない。
難解で、理解にはまだまだ程遠いのだけど、
考えれば考えるほど、
人だけでなく、
地球にすむ全ての生き物、
過去や未来との繋がりや
宇宙との一体感のようなものへと
意識が拡がっていく気がする。
いのちまるごとの躍動感というか。
これを『愛』と言っても良いのかもしれないなぁ。
0 件のコメント:
コメントを投稿