2019年8月27日火曜日

思うような結果が得られないときは

『思うような結果が得られないときは、
やり方が間違っているか、
愛が足りないか、
そのどちらかです』

20年前、気功の師からいただいたこの言葉は、
今でも、セラピストとしての大切な指針のひとつとなっています。


“愛が足りないか”

については、
この先、明確な答えを得られるかどうかは分からないほど
深いテーマであるので、そう焦らず探求するとして・・・。


“やり方が間違っている”のであれば、
間違ったところに立ち戻り、やり直せばよい。

変に意地をはらず、
素直に間違いを認めて、自分を責めたりもしなければ、
心が絡まることもなく、
やったことに対しての結果が現れるだけ。

これは良い。

と、これまでやってきたのですが、
最近、
ここにも盲点があったことに気づいてしまいました。



どこに立ち戻るか。
そこが要だ、と。



協生理論を理解していく上で、
私が何度もひっかかって頭が混乱してしまうポイントがあります。

1、「理」と「感性」を混同してしまっている
2、思い込み、常識を基準に読み取ろうとしてしまう
  (自分の道理に合わせようとしてしまう)

そして
3、起点・基点を間違える


特に3番目の混乱ポイントに気づいたときに、
以前からうっすら感じていた違和感を思い出しました。


私が施しているトリートメントは
「推拿」(スイナ)という、中医学の伝統手技療法をベースにしたものです。

中医学、最古の医学書「黄帝内経」の冒頭にはこんな一文があります。
(現代語訳ですが・・・しかも漫画(^o^))
image


「黄帝が問う
 昔の人は、百歳を超えても衰えはしないと聞いたが、
 なぜ今どきの人は50歳ぐらいで
 皆おとろえてしまうのだろうか?」


中医学の歴史は古く、
2000年とも、4000年とも言われていますが。

この一文を読む限り、今の私達が抱える問題となんら変わりない。

人間はこんなにも進歩しないものなのか、

はたまた、

もうこの時点で、
そもそも「間違い」が始まっていたのか・・・・・。

ここにある“昔の人”とは・・・・・・。





地球創生(もしかしたらもっと前・・・・?)から端を発している
協生理論、むー理論。



人間という枠にとどまり理解しようとしている時点で、
協生理論の真髄には到底たどり着けるわけないのかもしれない。



難解で、理解にはまだまだ程遠いのだけど、
考えれば考えるほど、
人だけでなく、
地球にすむ全ての生き物、

過去や未来との繋がりや

宇宙との一体感のようなものへと
意識が拡がっていく気がする。

いのちまるごとの躍動感というか。

これを『愛』と言っても良いのかもしれないなぁ。

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