昨夜、友人宅で夕ご飯をごちそうになりながら、
「最近、どんな日々をすごしていたの?」と聞かれ、言葉に詰まった。う〜ん。
ワクワク、幸せな日々なことは確かなんだけど、
「え〜っとそうだなぁ。どんな日々? 何を話したら・・・」なんて、モヤモヤした返事しかできなかった。
そして、今朝。
秋らしい気持ちのよいお天気だったので、歩いてソラの家へ向かうことにした。
そして、昨夜のことを振り返る。
話をすることが、何も無いはずはないんだけどなぁ。
無気力に生活しているわけでもないし、むしろ、色々アリすぎるくらいネタ満載な日々を過ごしている、はず。
でも、何があったか言葉にするのが難しかった。
どうしてだろう・・・。
そんなことを考えながら歩く足元に、
クルミの殻が落ちていた。
「あれ?なぜクルミが?」
しばらく歩くと、そこにクルミの木があった。
「へぇ、こんなところに。今まで気づかなかったなぁ」
「さっきの殻は中身がなかったし、きっと何かの動物が食べて運んできたのかなぁ」なんて、空想をふくらませる。
しばらくして、
クルミといえば脳。
フラワーレメディではウォルナットかぁ。
脳(思考)の制限を外す・・・。
ブツブツブツ・・・。
その時ハッと気づいた。
アワのようにブクブクと湧いてくる色々な出来事を、メッセージとして感じとっているけれど、
感じとったその次の瞬間には、そのアワは弾けるように消えてなくなっている。
はい、完了〜って。
そして、それで満足している私。
一人でね。笑
この傾向は、子どものときからだった。
学校から帰ってきて母親から、学校の様子を聞かれても、
「別に・・・」「特に何もない」と、なんともツレナイ返事をしている子どもだった。
色々あっても、既に自分の中では終わっているから、話すことは何もなくなっている。
まぁ、可愛げのない、つまらない子どもだったわけですよ。笑
終わっていても、話せばいいのにね。
アワは消えてなくなっていても、その素は私の中にストックされているからね。
コミュニケーションをそんなに必要としなかったのかなぁ。
よくわからないけど。
だから、今もこんな状態が標準モード 笑
気ままな独身を続けているのも、こんな性(サガ)のせい??
でもね、最近は、
「(他者に)伝えたい」という意図を持つようになったの。
意図 イト 糸・・・。
伝えあうことで、それぞれの糸が織りなす様々な模様が浮き上がり、
その美しさやいびつさも、魂にとっては歓びであると知るようになったから。かな?。
そんな時、人から
『「(ほ)んだらね」って、よく言うよね〜。」』と、私の口癖をツッコまれた。
「そしたらね」「それからね」という意味で使っているのだけど、
自分では全く気づいていなかった。
なんだかバカにされた気がしたのだけれど、
「それでね・・・」を使うほど、次から次へと色々話したいことがあるんだ〜。
そして、それを聞いてくれている人がいることで、ささやかな幸福感を感じている素の自分を発見でき、嬉しくなった。
標準モードの「一人・アワのような日常」は、きっと変わらないけれど、
「ほんだらね」が創り出す彩り豊かな模様をもっと見てみたい、そんな風にも感じる今日この頃。
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